阿波町の名所5 長峰古墳・西長峰遺跡 [夏休み]
阿波市阿波町にはさまざまな名所があります。長峰には古墳や遺跡があります。
長峰古墳
古墳の位置は,北岡西古墳から北西約750mにあり,西古墳の調査中に発見された
そうです。古墳はほとんど破壊され原型をとどめていません。現在長峰工業団地の西
側の小高くなった所に復元されています。
西長峰遺跡の立て札
西長峰遺跡は吉野川北岸の河岸段丘の標高80mほどの台地上に立地しています。
1991年(平成3年)・1992年(平成4年)に工業団地建設に伴って発掘調査が実施され
ました。その結果、竪穴住居跡が26棟、掘立柱建物跡(14棟大型のものを含む)が確
認されました。これらの建物は規則的に配置されており、集落を構成する建物それぞ
れがどのような役割を持っていたかを知る上で特に注目されています。土器や石器な
どの多くの遺物が出土していますが、注目されるのは分銅形土製品です。分銅形土製
品には目・鼻・口など顔が線刻されており、祭祀に用いられたと思われます。本遺跡は、
遺跡の立地や規模、出土遺物などから弥生時代中期の拠点集落と考えられています。
西長峰遺跡で出土した分銅形土製品
長峰古墳
古墳の位置は,北岡西古墳から北西約750mにあり,西古墳の調査中に発見された
そうです。古墳はほとんど破壊され原型をとどめていません。現在長峰工業団地の西
側の小高くなった所に復元されています。
西長峰遺跡の立て札
西長峰遺跡は吉野川北岸の河岸段丘の標高80mほどの台地上に立地しています。
1991年(平成3年)・1992年(平成4年)に工業団地建設に伴って発掘調査が実施され
ました。その結果、竪穴住居跡が26棟、掘立柱建物跡(14棟大型のものを含む)が確
認されました。これらの建物は規則的に配置されており、集落を構成する建物それぞ
れがどのような役割を持っていたかを知る上で特に注目されています。土器や石器な
どの多くの遺物が出土していますが、注目されるのは分銅形土製品です。分銅形土製
品には目・鼻・口など顔が線刻されており、祭祀に用いられたと思われます。本遺跡は、
遺跡の立地や規模、出土遺物などから弥生時代中期の拠点集落と考えられています。
西長峰遺跡で出土した分銅形土製品
阿波町の名所4 岩津の石灯ろう [夏休み]
阿波市阿波町にはさまざまな名所があります。岩津の石灯籠(せきとうろう)
も有名です。
岩津は、池田・徳島間のおよそ中間に位置し、川幅の最も狭いところであり、
監視所としては最適の地です。この灯籠は灯台の役目をしました。藩ではここ
に御分一所(税関のようなもの)を設け、水上輸送する筏や船の監視をさせる
とともに、流通税の取立業務をさせました。水上輸送は、一度に多くの荷物を、
運ぶことが出きるため、陸路よりはるかに便利です。物資の輸送はほとんどが
ひらた舟(川の浅瀬の運航に好都合)によっており、鉄道が開通する明治後期
まで、地域交通の大動脈として活躍しました。
岩津橋の下を流れる吉野川(灯籠のすぐ前) 横から見た石灯籠
石灯籠のまわりには下のような史跡もあります。
細井菊江氏が詠んだ歌 岩雲花香氏の鯰の歌碑(神代文字)
も有名です。
岩津は、池田・徳島間のおよそ中間に位置し、川幅の最も狭いところであり、
監視所としては最適の地です。この灯籠は灯台の役目をしました。藩ではここ
に御分一所(税関のようなもの)を設け、水上輸送する筏や船の監視をさせる
とともに、流通税の取立業務をさせました。水上輸送は、一度に多くの荷物を、
運ぶことが出きるため、陸路よりはるかに便利です。物資の輸送はほとんどが
ひらた舟(川の浅瀬の運航に好都合)によっており、鉄道が開通する明治後期
まで、地域交通の大動脈として活躍しました。
岩津橋の下を流れる吉野川(灯籠のすぐ前) 横から見た石灯籠
石灯籠のまわりには下のような史跡もあります。
細井菊江氏が詠んだ歌 岩雲花香氏の鯰の歌碑(神代文字)
阿波町の名所3 北岡古墳 [夏休み]
阿波市阿波町にはさまざまな名所があります。古墳も有名なものがあります。
その代表的なのが北岡古墳で,東西2カ所あります。
北岡東古墳
北岡古墳(東古墳)は,直径約15m、墳丘高約5mの円墳と推定される。
石室は横穴式石室で,典型的な段の塚穴型石室である。構造の特徴から
6世紀後半の築造と考えられる。
段の塚穴型石室を持つ古墳として東限に位置するため,貴重な遺跡である。
古墳を見学するには、県道12号線(鳴門池田線)と岩津橋を通過する道路と
の交差点を、北に上がり約500m。北岡東集会所の裏。
北岡西古墳
西古墳の内部 西古墳の説明立て札
北岡古墳(西古墳)は,直径約10m、墳丘高約4mの円墳と推定される。
石室は横穴式石室で,典型的な段の塚穴型石室である。構造の特徴から
6世紀後半の築造と考えられる。
東古墳よりやや小高いところに位置し,東側を町道によってけずり取ら
れており,石室の側壁がむき出しになっている。表面の土がかなり流出
している。くずれかけていた石室は修復され,現在入り口は広く内部に
穴観音が祭られている。
その代表的なのが北岡古墳で,東西2カ所あります。
北岡東古墳
北岡古墳(東古墳)は,直径約15m、墳丘高約5mの円墳と推定される。
石室は横穴式石室で,典型的な段の塚穴型石室である。構造の特徴から
6世紀後半の築造と考えられる。
段の塚穴型石室を持つ古墳として東限に位置するため,貴重な遺跡である。
古墳を見学するには、県道12号線(鳴門池田線)と岩津橋を通過する道路と
の交差点を、北に上がり約500m。北岡東集会所の裏。
北岡西古墳
西古墳の内部 西古墳の説明立て札
北岡古墳(西古墳)は,直径約10m、墳丘高約4mの円墳と推定される。
石室は横穴式石室で,典型的な段の塚穴型石室である。構造の特徴から
6世紀後半の築造と考えられる。
東古墳よりやや小高いところに位置し,東側を町道によってけずり取ら
れており,石室の側壁がむき出しになっている。表面の土がかなり流出
している。くずれかけていた石室は修復され,現在入り口は広く内部に
穴観音が祭られている。